V.G.M.@Akira Kohno

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わたしとビートルズ

f:id:cat_akira:20190526121911j:plain6月はロック月?ということで、ロックなことを書いてみようと思います。

 

ところで、幼少期〜思春期において「親が好きだったもの」の大抵は古臭くてダサいものではありませんでしたか? 1973年生まれの私にとってベンチャーズ、グループサウンズ、フォーク・・・一ミリたりともカッコ良くなかったです(当時は)。

 

幼稚園児

そんな中、別格だったのがビートルズの存在。世界一有名なこのロックバンドの楽曲は1970年代に幼稚園児だった私の耳にも色褪せることなく届いていた。『ひらけ!ポンキッキ(1973-1993年)』はビートルズの曲がよく使われていた。

ちょっと記憶がうろ覚えだが、この頃に関西ではサンテレビで『アニメ・ザ・ビートルズ』というビートルズのアニメが放送されていた。これは母親が見ていたのだろう。内容はよく覚えていないが、リンゴ・スターはいじられ役だったと記憶している。

1979年、YMOの2枚目のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』リリース。『DAY TRIPPER』のカバー収録。

 

 小学生

80年代。世の中はYMO vs 横浜銀蠅の二項対立(だけではないだろうが・・・)。

1980年12月8日、ジョン・レノン死去。

 

しかし僕らの日常ではビートルズは健在。笑福亭鶴瓶が全国進出した『突然ガバチョ!(1982-1985年)』のオープニング曲は『A Hard Day's Night』。この曲を聴くとアフロ&オーバーオールの鶴瓶が思い浮かんでしまう。  


公開自体は1969年だがテレビ放映したものをビデオ録画した『イエロー・サブマリン』(アニメ映画)を見たのもこの頃。アート色の強い映像で内容もよく理解できてなかったと思うが、繰り返し見ていた気がする。

 

 

 中学生

ミニコンポを買ってもらった。CDプレイヤーが出だした頃。未だCD自体がそんなにタイトルが揃ってなかったと思う。レコード店はその名の通りアナログレコードがメイン。貸しレコード店も申し訳程度にCDを並べていた。

これまでと決定的に違うのは「能動的かつ主体的に音楽を消費するようになった」ということ。CDを未だ一枚も持ってなかった頃、近所のお兄さんから渡辺美里と杉山清貴のCDを貸してもらった。めちゃめちゃハイファイな音質に感激した。 

  

 世はおニャン子全盛、とんねるずが大人気、バンドブーム、バブル景気の絶頂に入ってていく。CDが身近になるにつれ、レコードプレーヤーの出番は減っていった。

ある日の夜中、何故かレコードプレーヤーを久々に使ってみようと思い、親のレコードを引っ張り出してみた。疎遠になっていたビートルズと再会する。夜中なのでヘッドフォンを装着。大音量で『LET IT BE』を聴く。大袈裟に言えば、初めて自分の意思でビートルズに向き合った瞬間であったと思う。 

 

 

高校生

バンドブーム直撃。エレキギターを手にする。比較的シンプルで初心者には良いということでビートルズの曲も部分的にコピーしてみたりする。後にわかることだが、この頃にスコアブックで見た「A Hard Day's Night」のイントロのコードはG7sus4だFadd9だと解釈が結構割れてて、実際はどのコードなのか謎だったらしい(近年、イギリスの数学者が解明したそうです)。

衛星放送に加入した。ビートルズの特集があり、ビートルズのアルバム制作の話なども知る。『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』ではテープを逆回転させたドラムの音を使ったり、とか。今では当たり前の多重録音も当時は最先端。アルバムごとにテイストが異なるが、後期ビートルズのアルバムはライブでの再現性というより「録音芸術」的な要素も強かった、ということも知る。

1990年、ハウス・ユニットCandy Flipが『Strawberry Fields Forever』をカバー。

1991年、湾岸危機。

我々日本人はブラウン管越しにリアリティのないお茶の間サイズの戦争を目の当たりにする。そんな中、オノ・ヨーコ、ショーン・レノン、レニー・クラヴィッツが中心になって数多くのミュージシャンと『Give Peace a Chance 平和を我等に1991』を制作。WOWOWではドキュメンタリー番組が放送された。

 

 

社会人

1994年、映画『バック・ビート』公開。

1995年、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』リリース。

 

 未発表音源集のCDアルバム3部作。ファンとしては気になるビートルズの新曲なのだが、理由があって発表しなかった音源を掘り返されるビートルズメンバーの心境はどうだったのだろうか?

 

1996年、Takara『すりおろしリンゴ』のCMにリンゴ・スター出演。

1997年、ポールマッカートニーが英国のナイトの爵位を授与。

1998年、ショーン・レノン初のソロ・アルバム『イントゥ・ザ・サン』リリース。

 

 

2001年11月29日、ジョージ・ハリスン死去。

2009年、プラスティック・オノ・バンド活動再開。

2010年、iTunes Storeでビートルズ配信解禁。

2012年、岡崎京子原作、沢尻エリカ主演『ヘルタースケルター』公開。

2013年、『アナと雪の女王』公開。時代は「レリビー」から「レリゴー」に?

2014年、体調不良でポール・マッカートニーの日本公演が中止・緊急帰国。

2016年、ジョージ・マーティン死去。

 

 

つい最近

と、このブログを書いてる時に「最近、ビートルズってなんかあったかな?」と思ってたら朝のNHKで「ビートルズ来日から50年」ということで赤穂市の「ビートルズ博物館」の話題を取り上げていた・・・本当に話題が尽きない。

 

赤穂市/ビートルズサロン『GLASS ONION』